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むせかえる世界in横浜美術館、いろいろありながらもエキサイティングに開催中。 むせかえる体験者の方々、ぜひスカート内のノートだけでなく、こちらのコメント欄にも感想をお願いします! <「中途参加者」さんのホームページとMLへの投稿より転載> ■■ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』(Die Brechtrommel)と 砂山典子の『むせかえる世界』(Un Monde Parfume)■■ ギュンター・グラス(1927〜)の小説『ブリキの太鼓』は1959年に出版され、1979年に西独・仏合作で映画化されていて、この映画を私は1980年代の始めに見ている。そして、私は当時ある女子大で非常勤講師をしていて、その学生たちにこの映画を見ることを勧め、私の言葉を信じて実際に見に行った学生に、恥ずかしそうな笑顔で真剣に怒られてしまった。 映画のなかで、オスカルの母親とダンツィヒ中央郵便局員ヤンとの、ホテルの一室での逢引きの場面での、母親の性的欲望の表現は見事な映像だったと思う。その場面が特に当該の女子学生が顔を赤らめて私に「先生、ひどい!」と言わしめたのか否か、今となってはわからないが、その場面以外に次の光景も目に焼きついている。 それは、映画の冒頭で、中央ヨーロッパ特有の平坦な、地味のいかにも乏しい農地で農作業をする祖母が孫のオスカルをそのスカートのなかに隠れさせる場面である。スカートのなかに隠す、というこの『ブリキの太鼓』のなかの光景を、私は6月16日の横浜美術館のエンタランス・ホールでの砂山典子さんの作品展示=着用、同館内のカフェ小倉山での、原万希子氏とのトークを伺っていて、思い出した。 それで、トーク後の懇談の席上で、実はそれが砂山典子さんとの面識を初めて得る機会だったのだが、その『ブリキの太鼓』のことを申し上げたら、ご自分の『むせかえる世界』のスカートのなかに来館者が入ってくる時には、人を隠すのではなく、ちょうどわが子のように守ってあげるという気分にもなるのだ、と語られた。 基本的に、この砂山典子さんの作品『むせかえる世界』は、作者砂山典子と来館者との間の性的交渉をまさにその作品の置かれた現場において、実現させる装置であると私は思った。予備知識に欠けていた私はこの6月16日に初めてそう思った。以上、是非このHPを読んでおられる皆様にも、6月25日まで開催されている『むせかえる世界』を是非見に行って頂きたく、紹介する次第です。(6月17日) photo (C)Norico Sunayama 撮影 ART LAB OVA パフォーマー 純 追記 かつて私の見た映画としての『ブリキの太鼓』と今回私が接した『むせかえる世界』とを比較することは大仕事で、ここで私が何か言うというのは、そのほんの僅かな側面に言及することでしかない。その意味での言及になるが、『ブリキの太鼓』の登場人物に、ガリバー旅行記のリリパット国(小人国)に由来するリリパット嬢がいたことと、20mのドレスを着用して、あの椅子ないし木組みの台に座ることとが、どちらも障害を持った存在の登場という点で共通していると思う点である。 6月16日の原万希子氏とのトークで、砂山典子さんはこのドレスを着用する時には、すぐには脱衣することが出来ないという意味で、自分に拘束のある状態だとの趣旨の説明をなさった。リリパットもドレス着用者も共に健常者ならば経験しない場面を強いられる弱者だったわけである。弱者たるリリパットとオスカルとの交情が、私の見た限りの印象では、あの映画のなかでは最も安らぎを感じさせられた、平和なシーンであった。 これに対して、弱者たる20mのドレス着用者は、その拘束ゆえに、かつて若者による性暴力の被害に会ったことがあるとの、ご自分にとって一番いやな思い出をトークの際に語られた。人からは、そのいやな思い出は、自分自身が誘った結果だと非難される可能性のあることも、ご本人は自覚されておられたが、しかし砂山典子さんは自分に性暴力を振るった学生たちに今会って話がしたいとも語った。 砂山典子の場合、その肉体は私的肉体でありつつ、しかも同時に公的肉体でもあるという、開かれたものである。このプライバシーとパブリッシティを共に担うことが、まさにハーバーマス(J.Habermas)の言う「構造転換された公共性」であり、近代社会そのものであった。「私」が「私」でありつつ「公」であるという、そしてその限りで、私的暴力の被害に会う可能性のある、社会のなかでの生き様を、砂山典子は表現している。 人に対してかつて私的暴力を振るった若者でも、現在私的存在であり、かつ同じ私的存在同士で共に共通する世界を築こうとしているならば、その同じ志を持った者たちとの交歓(会って話しをすること)が今日出来るはずである。共通世界、つまり公共性を担う人間たらしめること、それが教育ないし、かつて暴力を振るった若者への再教育である。そうした教育また再教育が行なわれ得るのが近代社会である。 この近代社会を前提にした性と青少年の問題に対しても、またイラクへのアメリカ軍の侵攻に対しても反応し、自分自身の肉体を通して表現活動を持続しているのが、砂山典子だと思う。出版物を通して性に関する表現活動をしてきている小説家たち(とりわけ富岡多恵子)、社会学者たち(とりわけ上野千鶴子)とも比較して論じたいとの衝動に駆られる。(6月18日) ■■むせかえる世界基金■■ 伝説の赤いドレスを目覚めさせ、作家の故郷である横浜に甦らせるために「むせかえる世界基金」を設立いたしました。 ボランティア参加やご寄付など、皆様のご支援、ご協力をお待ちしております。 *ボランティア参加は閉め切りました。 寄付はまだ募集していますので、よろしくお願いします。 -幻のドレスとフレンチビデオアートetc.でむせかえる横浜美術館-■■"un musee parfume": A SULTRY WORLD■■ ■■むせかえる世界基金■■Fund for "A SULTRY WORLD"■■ ・お申し込み/お問い合わせ ■むせかえる世界基金事務局 〒231-0062横浜市中区桜木町3-13大島ビル5FART LAB OVA内 E-mail:musekaeru@excite.co.jp BLOG:http://musekaeru.exblog.jp/ MIXIコミュ<むせかえる世界基金>もあります 関連リンク: □横浜美術館 □横浜フランス月間・2006
by musekaeru
| 2006-06-23 03:15
| むせかえる体験ノート
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